「EU AI法が延期された」との報道がありますが、延期されたのは主に高リスクAI規制の一部です。法全体が延期されたわけではありません。透明性義務は2026年8月から、GPAI義務・ガバナンス・第99条の罰則枠組みは2025年8月から適用されています[1]。何が始まり何が延びたかを整理し、今やる点検を示します。
「EU AI法は延期された」という誤解を解く
AI法の枠組み自体は止まっていません。
2026年8月2日、延期対象外の規定が予定どおり適用
EU AI法は2024年8月1日に発効し、段階的に適用を広げました[1][2]。禁止規定とAIリテラシー義務は2025年2月2日、GPAI義務とガバナンス体制は2025年8月2日から適用済みです[1]。
2026年8月2日には、延期対象外の規定が予定どおり適用され、透明性義務も同日から適用されています[1]。
「延期」の正体は高リスク規律の一部後ろ倒し
では何が延期されたのか。主に附属書III(Annex III)の独立型高リスクAIに関する義務で、製品規制(Annex I)組込み型は別の適用日です[1][3]。これは2025年11月提案、2026年7月採択・発効の「Digital Omnibus」による改正です[3]。
適用済みの主な義務を押さえる
すでに適用されている主な義務を確認します。対象や自社の役割を見落としがちです。
透明性義務——提供者の表示・マーキングと利用者の開示
2026年8月2日から適用されている代表例が第50条の透明性義務です[4][5]。提供者は、人と直接やり取りするAIでは対話である旨を明示します(AIだと明らかな場合は例外)[5]。合成コンテンツを生成するAIの提供者には、出力への機械可読マーキングが求められます(標準的な編集補助など一定の例外あり)[5]。
利用者(デプロイヤー。自らの権限でAIを使用する個人・組織)が公表する場合にも開示義務があります。代表例はディープフェイクと、公益に関する事項を公衆に知らせる目的で公表するAI生成テキストです(後者は人のレビュー・編集責任を伴う公表は例外)。ディープフェイクが芸術・風刺・架空の作品でも免除ではなく、表示・鑑賞を妨げない方法で生成・改変を示します[5]。マーキング義務(第50条第2項)には、2026年8月2日より前に市場投入された対象システムに2026年12月2日までの移行期間があります[5]。また、感情認識システムや生体分類システムを導入するデプロイヤーには、対象となる人への通知義務があります[5]。
GPAI・ガバナンス・罰則はすでに稼働している
汎用AIの提供者の義務(第53条)は2025年8月2日から適用済みで、技術文書の整備、下流への情報提供、EU著作権順守方針、学習データの要約公表などです[6]。これは開発側の義務で、外部モデルを通常利用するだけなら直接は負いません。ただし大幅な改変や自社モデルとしての提供など下流の提供者となる場合は別途確認が必要です。2025年8月2日より前に市場投入されたモデルには2027年8月2日までの移行期間があります[6]。
ガバナンス枠組みと第99条の罰則枠組みは2025年8月2日から適用されています[1]。一方、GPAIに関する欧州委員会の執行権限は2026年8月2日からで、GPAI提供者には第101条の規定も関係します[7]。罰則の上限は違反類型で異なり、禁止行為違反は最大3,500万ユーロまたは前年度の全世界年間売上高の7%、第99条第4項の義務違反は最大1,500万ユーロまたは3%、不正確な情報提供などは最大750万ユーロまたは1%です。原則は高い方が上限ですが(上限額であり実額は個別事情による)、中小企業・スタートアップは低い方、小規模中堅企業(SMC)も第4・5項の罰金に同様の緩和があります。ただし個別の罰金は、適用対象で該当義務の適用後に違反が認定された場合に生じます[8]。
延びたのは何か|Digital Omnibusによる仕分け
「延びたもの」を把握すれば、準備計画を現実的に立てられます。
Annex IIIの独立型は2027年12月、Annex I組込み型は2028年8月へ
Digital Omnibusにより、附属書III(Annex III)の独立型高リスクAIの適用は2027年12月2日へ後ろ倒しされました[1][3]。対象は、生体認証、重要インフラ、教育、雇用・労務、必須の公共・民間サービス、法執行、移民・国境、司法など8分野です[9]。Annex Iに列挙されたEUの製品規制対象に組み込まれる高リスクAIの適用は2028年8月2日です[1][3]。
改正規則Regulation (EU) 2026/1744(Digital Omnibus on AI)は2026年7月に採択・官報掲載され、7月27日に発効しました。AI法(Regulation (EU) 2024/1689)等を改正するものです[10]。AIリテラシーに関する規定は2025年2月から適用され、2026年の改正で要件が簡素化されました。提供者・デプロイヤーの取組みは残りますが、改正後の第4条では、提供者・デプロイヤーに対し、従業員など、自社に代わってAIの運用・利用に関わる人のAIリテラシー向上を支援する措置が求められます。対象者の知識・経験やAIの利用場面に応じて、教育・周知を進めることが実務上重要です[11]。法的義務とは別に、社内でAIの適切な利用を促す教育は実務上有効です[11]。非同意の性的ディープフェイクやCSAMを生成するAIの禁止規定も2026年12月2日から適用されます[10]。
「延びた」は「準備しなくてよい」ではない
適用が2027年12月でも、着手は待てません。高リスクAIに該当すると、リスク管理やログ、人的監督など、整備に時間を要する要件があります[2]。延期は免除ではなく準備の時間です。
日本企業が今やる実務点検
EUの規制でも無関係とは言い切れません。
なぜ日本企業に及ぶのか——域外適用と採用AI
AI法の適用範囲(第2条)はEU域外にも及びます[12]。域内で提供・運用されるAIのほか、域外事業者が提供者・デプロイヤーとなる場合や、一定の条件のもとで出力が域内で利用される場合などを含みます。実際の該当性は役割・提供や出力の場所・用途から個別に確認します[12]。
とりわけ採用AIです。応募書類のスクリーニングや候補者評価は、高リスクの雇用・労務管理に該当し得ます[9]。ただし分野名だけで決まらず、用途・機能と法令要件で個別判定します。高リスクに該当し、かつAI法の適用範囲に入る場合は、2027年12月の適用開始に向けた準備が必要です[9][12]。
2026年10月時点で着手したい点検
- 社内外のAIを一覧化し、EUでの提供・利用、出力の利用場所、提供者か利用者かの役割を記録して適用範囲を判定する(AI利用台帳)。
- 自然人と対話するチャットボット等で「AI利用」の明示ができているか確認する(透明性義務)。対象外でも社内ルールでの明示を検討[4]。
- 採用・人事評価、自然人の信用力評価(与信)、生命保険・医療保険のリスク評価や保険料設定、教育などの用途を、分野名ではなく実際の目的・機能で判定し、結果を台帳に残す[9]。
- 外部の汎用AIを業務利用する際、入手可能な範囲で提供者の技術文書や著作権方針を確認し、役割・適用要件に照らして整理する[6]。
- 高リスク該当の候補用途は、担当と期限を決めギャップ分析を始める[2]。社内ポリシー(利用範囲・ログ・権限・開示)の再点検も並行する(設計は生成AIガバナンスの設計方法が参考になります)。
- 2026年12月2日が期限・適用の事項を確認する——第50条第2項の対象となる既存システムのマーキング対応と、非同意の性的ディープフェイク等を生成しない設計・運用[5][10]。
日本のAI事業者ガイドラインは罰則のないソフトロー、EU AI法は罰則付きで域外適用もある規則です[13]。国内対応で完了とせず、EUに関わる用途は役割・用途・適用時期を別途判定しましょう。
さいごに
EU AI法の「延期」報道は、動く義務と2027年12月へ延びた高リスク規律の混同でした。稼働中の義務には今すぐ対応し、延びた規律は準備期間とします。
今の着手は、適用範囲の誤認や対応漏れを避ける第一歩です。まずは全社のAI利用台帳の整備から始めましょう。なお本記事は2026年10月20日時点の一般的な情報提供であり、個別の法的助言ではありません。適用日や運用は今後の改正等で更新され得るため、最新の公式情報もご確認ください。
出典
※出典はいずれも2026年10月20日時点で参照。
- [1] EU AI Act 実施タイムライン – 欧州委 AI Act Service Desk
- [2] Regulatory framework on AI – 欧州委
- [3] AI Omnibus enters into force – 欧州委
- [4] Article 50: Transparency Obligations – 欧州委 AI Act Service Desk
- [5] Transparency obligations under Article 50 (FAQ) – 欧州委
- [6] Article 53: Obligations for Providers of GPAI Models – 欧州委 AI Act Service Desk
- [7] Commission’s enforcement powers (GPAI providers) FAQ – 欧州委 AI Act Service Desk
- [8] Article 99: Penalties – 欧州委 AI Act Service Desk
- [9] Annex III: High-Risk AI Systems – 欧州委 AI Act Service Desk
- [10] Regulation (EU) 2026/1744 (Digital Omnibus on AI) – EUR-Lex
- [11] Article 4: AI literacy – 欧州委 AI Act Service Desk
- [12] Article 2: Scope – 欧州委 AI Act Service Desk
- [13] AI事業者ガイドライン(第1.2版) – 経産省・総務省



