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フィジカルAIで日本復活か下請か|政権160兆円構想とNVIDIA支配の分かれ道

政権が打ち出した「160兆円構想」は、日本の産業復活への期待を集めています。しかし、この巨額投資が本当に日本の競争力を回復させるのか、それともNVIDIAのエコシステムに組み込まれた「高度な下請企業」への道を歩むのか――その分岐点は、多くの人が見落としている「シミュレーション主権」にあります。本記事では、フィジカルAI市場の構造と日本が取るべき戦略を分析します。

フィジカルAIとは何か、なぜ今注目されるのか

物理世界を理解するAI技術の登場

フィジカルAIは、ChatGPTのような言語AIとは根本的に異なる技術です。NVIDIAの定義によれば、カメラ、ロボット、自動運転車などの自律システムが物理世界を知覚・理解・推論し、複雑なアクションを実行できるようにするAI技術を指します[1]。重力、摩擦、慣性といった物理法則そのものを理解し、現実世界で動作する点が特徴です。NVIDIA CEOのJensen Huang氏は「今大学に戻るなら、このフィールドに注力する」と述べており[2]、業界の注目度の高さがうかがえます。

年率30%超で成長する市場規模

フィジカルAI市場は急速に拡大しています。2025年の約50億ドルから2033年には49.7億ドルへと成長する見込みで、年平均成長率は31.26%に達すると予測されています[3]。Gartnerは2025年の戦略的技術トレンドとして「Agentic AI」を挙げ、2030年までに80%の人間がスマートロボットと日常的に関わるようになると予測しています[4]。この市場の特徴は、ソフトウェアだけでなく「身体」――つまりロボットのハードウェア、センサー、アクチュエーターが必要な点にあり、これは日本企業が強みを持つ領域です。

政権の160兆円構想の実態と投資配分

実際の公的支援は10兆円、最大の投資先はラピダス

メディアで「160兆円構想」と報じられた政府構想ですが、この数字は実は経済波及効果の目標値です。実際の公的支援は2030年度までの7年間で10兆円以上、官民投資総額は10年間で50兆円超という規模になります[5]。2026年度当初予算では、AI・半導体関連に前年度の3.7倍となる1兆2390億円が計上され、うちフィジカルAI・基盤モデル開発等に3873億円が配分されました[6]。

最大の投資先は次世代半導体ファウンドリ「ラピダス」で、2027年度までの累計政府支援は約2.9兆円に達します[6][7]。2nm半導体の2027年量産化を目指すこの投資は、日本が先端半導体製造能力を取り戻す重要なステップです。しかし半導体製造能力の回復だけでは、NVIDIAのソフトウェアエコシステムへの依存は解消されません。

半導体投資だけでは解決しない構造問題

TSMCで製造されるNVIDIAチップを国産チップに置き換えても、本質的な問題は残ります。NVIDIAの真の競争優位は、チップそのものよりもCUDA、Isaac、Omniverseといったソフトウェアエコシステムにあるからです。日本の「全方位戦略」――半導体、AI基盤モデル、フィジカルAIへの分散投資――は、各分野で中途半端な競争力しか生まない危険性をはらんでいます。米中が国家の命運をかけて単一の突破口に集中投資する中、この投資配分が最適なのか、再考が必要です。

NVIDIAが築く「3層支配」の構造

学習・シミュレーション・実行を統合するエコシステム

NVIDIAのフィジカルAI支配力の本質は、「3台のコンピューター」戦略にあります[8]。DGXでAI基盤モデルを訓練し、Omniverseで仮想環境においてロボットを訓練し、Jetson Thorでエッジでのリアルタイム制御を行う――この一連のパイプラインがすべてNVIDIA製品で完結する設計です。

特にOmniverseの戦略的重要性は見過ごされがちですが、フィジカルAI開発では「シム・トゥ・リアル・ギャップ」――シミュレーションと現実世界の差異――が最大の技術的課題となります。Omniverseは物理ベースのレンダリングとセンサーシミュレーションを提供し、このギャップを埋めます[9][10]。シミュレーション環境を支配する者が、フィジカルAI開発プロセス全体を支配するのです。

日本企業との提携が示す依存の深化

日本企業とNVIDIAの提携は急速に進んでいます。2025年1月、トヨタは次世代車両へのNVIDIA DRIVE AGX Orin搭載を発表しました[11]。ソフトバンクはNVIDIA DGX B200による日本最高性能AIスーパーコンピュータを構築し[12]、2025年12月にはファナックがNVIDIA Isaacフレームワークの統合を発表しました[13]。ファナック株価はこの発表で9.4%急騰しましたが、別の見方をすれば、日本のロボット製造の頭脳がNVIDIAに移行しつつあることの証左とも言えます。

日本企業の強みと弱み、米中との比較

世界トップの「身体」製造能力

日本の産業用ロボット産業は依然として世界をリードしています。ファナック、安川電機の2社だけで世界シェア約60%を占め、精密減速機ではナブテスコとハーモニック・ドライブ・システムズが世界トップを独占します[14]。日本は産業用ロボット生産で世界の46%を占め、ハードウェア製造においては圧倒的な競争力を維持しています。

しかしフィジカルAIの競争軸は変化しています。重要なのは「いかに精密なハードウェアを作るか」ではなく、「いかに少ないデータで多様なタスクを学習できるか」です。トヨタのToyota Research Instituteは60以上の複雑なスキルをロボットに学習させることに成功しましたが[15]、開発にはNVIDIA DGXが使用されています。日本企業は「身体」の製造では世界一でありながら、その「頭脳」の開発では周回遅れという構図が浮かび上がります。

中国は量産・米国は資本で先行

中国は国家主導の「全体国家的」アプローチを展開しています。2023年の政策文書では2025年までに大量生産体制確立と2~3社のグローバルリーダー育成を明記し[16]、国家AIファンド82億ドルに加え、北京市が143億ドル、深圳市が6.3億ドルを投じています[17]。Unitree RoboticsはG1ヒューマノイドを約1.37万ドルという低価格で販売し、2024年の出荷台数は約1400台と世界最多に達しました。中国のロボティクス投資は日本の10倍以上、スタートアップ資金調達件数は2024年だけで74件に上ります。

米国はスタートアップエコシステムの強さで対抗します。Figure AIは2025年に評価額395億ドルを達成し、Teslaは2026年以降に月産10万台のOptimus生産ラインを計画しています。ただし米国には産業用ロボットを大量生産する国内企業がなく、2022年には12.6億ドルのロボット貿易赤字を記録しました。日本はハードウェア製造では優位ですが、ヒューマノイドロボットの商業展開企業はほぼ皆無で、中国の量産力と米国の資本力の中間に位置しています。

「復活」への道はシミュレーション主権にある

下請シナリオと復活シナリオの分岐点

日本が「下請」に転落するシナリオは、現状の延長線上にある最も蓋然性の高い未来です。日本企業はNVIDIA Isaacで開発されたAIモデルを搭載するロボットの「製造受託」を担い、ファナック、安川のロボットアームは世界中で使われ続けますが、制御ソフトウェアの価値の大半はNVIDIAに帰属します。ナブテスコの減速機、ソニーのイメージセンサーは高いシェアを維持しますが、最終製品の付加価値チェーンにおける日本の取り分は縮小していきます。

「復活」シナリオの鍵は、シミュレーション環境の自前化にあります。NVIDIAのOmniverseに対抗できるシミュレーション基盤を構築し、日本の製造現場の実データと組み合わせることで、「シム・トゥ・リアル・ギャップ」を最小化する独自パイプラインを確立するのです。これにより、日本の製造業が持つ暗黙知――長年の現場経験から蓄積されたノウハウ――をAI学習に取り込むことができます。

選択と集中による3つの重点投資領域

日本がフィジカルAI時代に「復活」するには、160兆円構想の投資配分を再考する必要があります。第一に、製造業特化型シミュレーション基盤の構築です。Omniverseの汎用性に対抗するのではなく、日本の製造現場に特化したシミュレーション環境を開発し、トヨタ、ファナック、パナソニックなどの製造データを統合することで、「日本の製造業」というドメインでNVIDIAを凌駕します。

第二に、VLA(Vision-Language-Action)モデル開発への集中投資です。言語モデルで米国勢に追いつくことは困難ですが、VLAモデルはまだ競争が始まったばかりです。第三に、エッジAIチップの独自開発です。NVIDIAのJetson Thorに対抗できる国産エッジチップを開発し、「頭脳」の一部を国内に取り戻します。ルネサスやPreferred Networksの取り組みを加速させ、ラピダスとの連携で製造まで国内完結させることが重要です。

さいごに

160兆円という数字の規模感に目を奪われてはなりません。問題は「何に投資するか」であり、それは「NVIDIAが支配するパイプラインのどの部分を自前化するか」という問いに他なりません。日本が持つ製造業の「身体」は世界最高峰です。その「身体」に宿る「頭脳」の主導権を誰が握るのか――それがフィジカルAI時代の日本の命運を分ける真の分岐点です。

今こそ、経営者や政策立案者は「シミュレーション主権」という視点から投資戦略を見直すべき時です。全方位戦略から選択と集中へ、そして日本の強みを活かした独自のエコシステム構築へ――この転換なくして、日本の産業復活はありえないでしょう。

出典

この記事を書いた人

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Yuji Oe

ソリューションサービス事業部

10年以上の業界経験(主にデータベース分野)を生かし、現在はSmart Generative Chatの導入のプロジェクトマネジメントを中心に活動。

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