「AIで生産性が劇的に向上した」という研究と、「ほとんどの企業で効果がない」という調査が同時に存在する。このねじれた現実に、違和感を覚えたことはないでしょうか。実は両者とも正確なデータに基づいており、矛盾しているわけではありません。問題は、私たちが「誰の生産性が上がったのか」を問わずにいることです。
AIの効果をめぐる数字の矛盾
「40%向上」と「95%が失敗」は両立する
MITの研究で、AIが高度な知識労働者の特定の作業のパフォーマンスを約40%向上させると報告されました[1]。しかし同じMITの別のレポートによるとが300件のAI導入事例を分析したところ、企業の95%が収益への測定可能な効果を得られていないという結論を導き出しています[2]。この数字は矛盾しているように見えますが、実は見事に整合しています。
40%向上した実験は、AIの能力が発揮しやすいタスクを設定した管理された研究です。一方、95%失敗というデータは現実の業務全体を対象にしたものです。つまり「最良の条件下でのAI」と「日常業務でのAI」は、まったく別物として捉える必要があります。この視点の欠如が、多くの組織でAI導入の期待と現実のギャップを生んでいます。
恩恵を受けているのは「初心者」だけ
データを細かく見ると、AIの恩恵が特定の層に集中していることが明確になります。あるソフトウェア企業のカスタマーサポート部門でのAI導入では、平均生産性向上は14%でした[1]。ところがその効果は「経験の浅い・低スキルの従業員」に集中しており、最も熟練したワーカーへの効果はほぼゼロだったと報告されています。

MicrosoftやAccentureなど複数企業が4,867名の開発者を対象に実施した無作為化比較試験でも、AIコーディングアシスタントが完了タスク数を平均26%増加させた一方で、経験の少ない開発者ほど導入率も生産性向上も高い傾向が確認されています[3]。AIは格差を縮める装置として機能しているのです。
熟達者がAIで「遅くなる」理由
暗黙知はAIが最も苦手とする領域
熟練した専門家の生産性は処理速度だけでなく、長年で蓄積された「暗黙知」に支えられています。なぜこのアーキテクチャが選ばれたのか、この顧客はなぜそう要求するのか——こうした文脈の理解はドキュメント化されておらず、AIが参照できる情報には存在しません。
AI安全研究機関METRが2025年7月に公開した実験は、この問題を鮮明に示しています[4]。平均5年以上のコミット経験を持つオープンソース開発者16名が、最新のAIツールを用いて実際のタスクをこなしたところ、AIを使用したケースは使わなかった場合より19%遅かったのです。さらに衝撃的なのは、開発者自身が「AIで20%速くなった」と感じていた点です。実際には遅くなっていたにもかかわらず、主観的体験は正反対だったのです[4]。
レビューコストという見えないボトルネック
同実験の詳細分析では、開発者がAI出力のレビューと修正に費やした時間が全体の9%、AIの生成待ちが4%に達していました[4]。熟達者にとってAIは「アシスタント」ではなく「監視が必要な新人」として機能していたといえます。

1万人以上の開発者データを分析した独自レポートも同様の構造を指摘しています[5]。AI活用度の高いチームではプルリクエスト(コード変更の提案)の数は大幅に増加した一方、レビュー時間も急増し、ボトルネックが「コード生成」から「人間によるレビュー」へ移っただけでした。システム全体の速度は最も遅い工程に制約されるという「アムダールの法則」が、ここでも働いているのです。
マクロ統計にAIが映らない本当の理由
組織全体では「平均化」しか起きない
個人レベルではドラマチックな変化が起きていても、組織やマクロ統計には現れない。その構造を説明するのが「平均化装置」という視点です。AIは低スキル層を底上げし、高スキル層の速度を落とします。その結果、組織全体の生産性分布は圧縮されますが、総量はほとんど変わりません。
6,000人以上の経営幹部を対象にした調査で90%以上が「AIは雇用にも生産性にも影響していない」と回答した背景には、こうした構造があります[2]。また米国製造業のAI導入を追った研究では、導入直後に生産性が低下し数年後に回復する「Jカーブ」が確認されたものの、回復に成功したのは導入前からデジタル成熟度が高かった企業に偏っていました[1]。多くの伝統的企業にとって、回復の右上がり部分は訪れないかもしれません。

節約した時間は生産性に転換されない
米国の中央銀行系研究機関による2024〜2025年調査では、AIユーザーが自己申告で週平均2.2時間の節約を報告しています[6]。マクロ換算すると約1.1%の生産性向上に相当しますが、同報告書は重要な留保を付けています。節約された時間が次のタスクに充てられているという保証はなく、従業員が「職場での余暇化」となっている可能性が高いというのです[6]。
ノーベル経済学賞受賞者でMIT経済学者のダロン・アセモグルが推計したAIによる今後10年間の生産性向上はわずか0.5%~0.7%でした[2]。「ゼロよりはましだが、業界が約束している水準とは大きくかけ離れている」という彼のコメントは、このギャップを端的に表しています。
さいごに
AIが「できる人の足を引っ張る」という現象は、技術の問題ではなく、使い方と期待値の設計の問題です。初心者の底上げに威力を発揮するAIを、熟達者の代替ツールとして導入しようとすれば、摩擦と非効率が生まれるのは避けられません。
あなたの組織でAIを活用するなら、まず問うべきは「誰が使うのか」「何のために使うのか」という根本的な問いです。ツールを入れることが目的になっている限り、95%という失敗率は変わらないでしょう。今こそ、AIを「導入する」から「設計する」という発想へ転換するタイミングかもしれません。
出典
- [1] How generative AI can boost highly skilled workers’ productivity / Generative AI and Worker Productivity / The ‘productivity paradox’ of AI adoption in manufacturing firms – MIT Sloan
- [2] MIT report: 95% of generative AI pilots at companies are failing / Thousands of CEOs just admitted AI had no impact on employment or productivity – Fortune
- [3] The Effects of Generative AI on High-Skilled Work: Evidence from Three Field Experiments with Software Developers – SSRN
- [4] Measuring the Impact of Early-2025 AI on Experienced Open-Source Developer Productivity / arXiv:2507.09089 – METR
- [5] The AI Productivity Paradox Research Report – Faros AI
- [6] The Impact of Generative AI on Work Productivity – Federal Reserve Bank of St. Louis
